イ ストラ半島はアドリア海の最深部にあるポレッチュは、海賊や戦乱を比較的受けにくかったため、ヴェネツィア領パレンツォだった頃の町並みの中に、ローマ時代や中世初期の史跡が比較的よく保存されている。
イストラ半島西部の目立たない小さな港町だったが、エウフラジエヴァ・バジリカ(Eufrazijeva bazilika)が世界遺産に指定され、クロアチアの独立・発展するのとともに、リゾート拠点の一つになりつつある。
かつては路地裏にあり探すのも大変だった聖堂(バジリカ)は、案内板が整備され裏通りにまでショップが出来て、発展ぶりに目を見張らせられる。
この6世紀の小さいながらも完全なエウフラジエヴァ・バジリカ(Eufrazijeva bazilika)は、太い黒木の梁が屋根を支える古代の聖堂プランが目を引く、イタリアのラヴェンナと並ぶ初期キリスト教時代の貴重な建造物である。
旧市街は本当に小さく、石畳のメインストリートのデクマノヴァ通り(Dekumanova ulica)を核にコンパクトにまとまっている。古代ローマ時代、重要地方都市であった当時、フォーラムが置かれていたマラフォル広場(Trg Marafor)の片隅には、不完全ではあるがネプチューン神殿の姿が今でも見られる。
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