中 世のダルマチアは戦乱が続き、都市や地域の支配者が誰かすらはっきりしないことも多い。そんな乱世を生きたウスコクと呼ばれる集団があった。
一族なのか都市国家なのか、また悪党であるのか義賊であるのか、何とも掴みどころのない集団だった。実際彼らは、周辺諸国とも、市民とも、教会ともそれなりにうまくやっていた。
16世紀のウスコクは、セーニを拠点として、周辺を航行するトルコやヴェネチアの船を攻撃し、戦利品を売って生活していた。俗に言う海賊だ。だがこれは、十字軍でヴェネチアやフランスが行った行為と同じではないか。
またそれは、オーストリアが敵と考えるヴェネチアやトルコに対する同盟軍の攻撃として位置づけられており、戦利品の販売はオーストリアで行われた。その利益は市民に還元され、教会に寄進された。海賊と言うよりむしろ、軍隊であり国家である。だから大国に蹂躙されてきたクロアチア人には、民族抵抗の旗印として人気がある。
17世紀に入ると、諸情勢を考慮し、オーストリアはウスコクを使ったヴェネチア攻撃を中止することを決意し、彼らを追放した。
屏風のように高いヴェレビト山地を背後の守りに、クヴァルネル諸島を盾にし、セーニは孤高の町だ。山から吹き降ろす強風が、海に大きな波を立てる。丘の上のネハイ(Nehaj)砦[写真下]が一番の見所で、歴史ある砦と共に、町と海と山との素晴らしい景色が見渡せる。
一歩市内に入ると、歩いてしか通れない細い路地が網の目のように入り組んでいる。
元々敵の侵入を防ぐためであったか分からないが、教会の高い鐘楼が見えているのになかなか行き着けないほど、現代の侵入者である観光客を苦しめている。
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