マウスス(Nemausus)の名で、ローマ帝国時代に繁栄した、ニーム。当時の面影を強く残しながら、今なお県庁所在地として力を保つことから、フランスのローマとの名を持つ南仏きっての古都だ。
そのためワニは、噴水の下、マンホールの蓋、土産品のデザインなど、街じゅうの至るところに溢れている。 なお、現在の市章は1985年にリニューアルされ、オリーブの冠とCOL NEMの文字が消えた小ざっぱりした物になっている。
多くのモニュメントの中で、市街地で圧倒的存在感を持つのが円形闘技場だ。24000人を収容する大きさもさることながら、保存状態が大変良い。帝国崩壊後も、要塞、収容所など、目的を換えながらも使われつづけてきたからである。19世紀から闘牛場となり、今もって多くの観客を集めている。
帝国の有力な軍人アグリッパと皇帝の娘との間に生まれ、若くして亡くなったカイウスとルキウスのために立てられたと言われる、長辺26mのやや小ぶりな神殿だ。 当時フォーラム(街の中心広場)に立てられた神殿は、21世紀においても街のど真ん中にあたり、街の構造がなんら変わっていないことが窺える。
市街の縁にあたるカヴァリエ山(Mont Cavalier)付近にも、重要な遺跡が連なっている。 山というより丘といった感じの小山だが、その頂きにはマーニュ塔と呼ばれる、言葉の意味するとおり巨大な塔が建っている。街の創建時に立てられた塔は、八角形の土台に33メートルの高さだが、当時は50メートル近かったのではと考えられている。 この山の麓には、ネマウススの泉が湧き出ており、近くにはディアナ神殿と呼ばれる廃墟が残っている。神殿ではなく別目的の建物だったとの説もある。
内へ水を供給していたローマ時代の水道は、ユゼス(Uzès)市付近を水源とする全長約50kmにおよぶ壮大なものだ。
前世紀には人が通ることも可能だったが、世界遺産への指定と前後して、観光客の進入が禁止されている。しかし、水道橋の最下段は現代に入り拡張されており、その付け加えられた部分を通行することで、間近に見ることができる。 ところで日本人にとって、ニームはデニムの発祥地としての意味が非常に大きいだろう。ニームは水に恵まれているので、中世から繊維産業がさかんだった。なかでも「Serge de Nîmes」(セルジュ・ドゥ・ニーム)という織物は、近代には重要な輸出品となっていた。それが大変丈夫であることに目をつけ、19世紀にアメリカで労働者の服として使われ始めたのが、デニム(denim)の始まりである。 |