"地中海,ギリシア,ケルキラ,コルフ,kerkyra,corfu"
ギシリアきってのコスモポリタンな街
Kérkyra/Corfu
Κέρκυρα
ケルキラ(コルフ)
(コルフ島 −ギリシア)♦♦
Centro
Storico

1300年の間、街を守ってきた古要塞

リシアの主要都市で一番ギリシアらしくないのがケルキラであろう。ケルキラと言っても分からないが、イタリア名のコルフと言えばピンとくる人も多いのではなかろうか。
 現在のケルキラ市は、ヴェネチア共和国の都市として繁栄を極めた街であり、町並みはまさにイタリア的だ。しかしギリシアの都市としても大変重要な役割を果たしてきたのである。
 気候に恵まれ緑深いケルキラ島(コルフ島)は、古代から豊かな島であったが、現在はイオニア海に面したビーチリゾートのメッカといった感が強い。一方イオニア諸島の中心地でもあり、アドリア海の入口オトラント海峡に近いため、イタリア、アルバニアが目と鼻の先だ。そのためギリシアのイタリア半島進出、ヴェネチア共和国のオリエント支配においても、大変重要な位置を占めていた。

ケルキラ旧市街

 紀元前8世紀にギリシア人が建設したコルキラ市が最初であった。アテネと同盟を組む大都市に発展し、その後ローマ帝国、ビサンチン帝国に引き継がれていった。


街の守護聖人を祭ったアギオス・スピリドノス教会


 ケルキラの運命を決定づけたのは、1386年から約400年に渡るヴェネチア共和国の時代だ。ヴェネチアは1204年に一度島を手に入れたが、その時は管理に手が回らずすぐに手放した。ヴェネチアは中東とヨーロッパを結ぶ海運で栄えた国家だが、首都ヴェネチアと取引先の中東との中継点として、そして当時彼らの海であったアドリア海の出入り口として、この島の戦略性を強く意識するようになり、再度14世紀に島を掌握したのである。ケルキラ市の要塞を強化し、イタリア的な町並みを整え、ヴェネチアと同じく総督による政治を行った。総督の権限は、ケルキラより東方の全ヴェネチア領土に及ぶ強力なものであった。同時に街は、東地中海を睨む軍事基地化を進め、遊撃艦隊を整備した。
 トルコ軍はこの拠点都市を奪取すべく、何度も来襲した。特に1537年のスレイマン将軍の攻撃は激しいものだったので、凌ぎきった後、街の山側に新要塞を建設した。1716年の3万人のトルコ軍による包囲戦も厳しい戦いであったが、傭兵隊長シューレンブルクの活躍で防ぎきった。この時期、ギリシアの大部分はトルコ占領下にあったので、各地から芸術家、学者、思想家達がイスラム化されていないギリシアを目指してケルキラに集まってきた。ケルキラは16〜19世紀にかけてイタリア語の世界であったと同時に、ギリシア文化の中心地でもあったのである。ヴェネチア滅亡後、ケルキラはフランス、イギリスの支配を経て、1863年ギリシアに返還された。

土産物屋が連なる旧市街の細い路地

ルキラを一言でいうなら、2つの巨大な要塞を持つ多国籍風の港町と言えるだろう。ヴェネチア時代の街を基本にしながらも、イギリス、フランス、そしてギリシア統治の痕跡がはっきりと刻み込まれている。
 街の観光なら、まず古城塞(パレオ・フルリオ Παλαιό Φρούριο)に入ってみたい。街の東海岸を占拠する巨大なスピアナーダ広場から橋を渡って城塞に入る。回り込むように少しずつ高度を上げながら目指すのは、小高い丘の頂上だ。10分ほどの登りで、ケルキラ市内を一望する素晴らしい展望に出会えるだろう。反対に目を向ければ、真っ青な海の向こうに、ギリシアからアルバニアにかけての山陰がくっきりと浮かび上がっており、幾世紀にも渡り戦いつづけたヴェネチアとトルコの最前線の緊張感が伝わってくる。

カノニから眺める2つの小島、ヴラヘルナ(手前)とポンディコニシ(奥)

 スピアナーダ広場に戻り、旧市街へ歩みを進めよう。広場に沿ったフランス風のリストン通りを横切り、商店や教会などで賑やかな細い路地に入り込む。アギオス・スピリドノス教会(Αγ.Σπυριδωνος)の高い鐘楼を目印に不規則に連続する路地や広場を縫うように進むと、突然鐘楼の下に出る。キプロスの聖人スピリドナスは永くこの街を守ってきた、信仰の厚い守護聖人である。そこから旧港に向かうフィレリノン(Φιλελληνων)通りはすれ違いが大変なほど狭く、立ち並ぶ商店やカフェを覗きながら歩けば旧市街らしさを強く感じられる一角だ。

ヴラヘルナの修道院

に4kmほど離れた郊外のカノニ(Κανόνι)地区は、ぜひ行ってみたい景勝地だ。フランス軍が砲台を設けたことがその名の由来だが、その高台に立つとヴラヘルナ(Βλαχέρνα)、ポンディコニシ(Ποντικονήσι )のそれぞれ修道院を持つ2つの小島が絵のような眺めを作り出している。
 海岸まで下りていくと、ヴラヘルナへ続く小道があり歩いて渡れる。島は観光客の重みで沈んでしまうのではと思うほど小さいが、島を占有する唯一の建物である可愛らしい修道院の鄙びた佇まいを見ておきたい。もう一つのポンディコニシへは船で渡る。この島はオデッセウスの乗った船がポセイドンにより島に変えられたものとの言い伝えがある。
 ケルキラ島は北の端から南の端まで、車で走って100kmにもなろうかという大きな島だ。島の中心にあるケルキラ市は、島内を巡るにも、またギリシア北部を巡るにもちょうどよい拠点となるだろう。