各家の紋章が刻まれた、聖ヨハネ騎士団の中世の城跡
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幾多の歴史が、何の変哲もない新市街の下に秘められた町。
乾いた平原に無造作に広がる近代的な市街、一見目ぼしいものは朽ちかけた聖ヨハネ騎士団の城跡以外何もない、美しい海だけが取りえのビーチリゾートに見える。
しかし歩き回ってみれば、なかなか味わい深い町なのである。
コスは、アジア大陸のトルコを間近に望む国境の町だ。港には、対岸のボドゥルム(Bodrum)/アリカルナソ(Αλικαρνασσό)[ボドゥルムのギリシア名]へ渡る高速船やボートの姿が見える。
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イスラム教徒も多い市内には、幾つものモスクが立つ
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ヒポクラテスのプラタナス
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また、コス島は長さ約45kmのエーゲ海ではかなり大きな島なので、その中心地コスも、町の規模としては大きい方だ。しかし見るべきものは、港の周辺に集まっている。
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石材に古代の棺が使われている、プラタナス広場のロッジァ・モスクの噴水
その脇にある噴水の石材は、こちらは本当に古代の棺を再利用したものだ。
続いて港の一角にあり、海にせり出した騎士団の城跡に入ってみる。
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海から町に上陸してまず目につくのは、プラタナスの大木だ。四方に枝が大きく張り出し、心地よい木陰を作り出している。言い伝えによれば、紀元前460年にこの町で生まれた、医学の父ヒポクラテスが、この木陰で弟子たちに講義をしたと言い伝えられている木だ(科学的測定によれば数百年前のものらしい)。
石壁の部材に使われている古代建築の石材
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ヨハネ騎士団の城跡は、古代建築材の宝庫
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城は古代の神殿の石材を再利用して作られており、石垣に時折混じる白い大理石の円柱が目を引く。貴重な文化遺産を建築材料にとは驚くが、近代まではごく普通だったことだ。
広大な城跡は、城壁などの基礎構造物を残すのみだが、その上を一周すると、コスの家々や港に係留された船、その背景の緩くうねった平らな島の風景、真っ青な海を挟んでトルコの山々まで、素晴らしい景色を楽しめる。
修復時に取り出されたものだろうか、場内のそこここに無造作に置かれた古代神殿の彫刻を見て回るのも面白い。
奇跡的に1933年の大地震を乗り越えた旧い民家
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刻まれた騎士団の紋章を見ると、故国を遠く離れ医療活動に従事した団員の思いに心を打たれる。
トルコの領土が拡大するにつれ、慈善団体から軍へと変質していったのもやむ得ないことだった。彼らは対岸のボドゥルムにも同じような城塞を構え、この海峡を首都ロドスをトルコの南下から守る防衛網の一環とした。
1522年、騎士団は20万人のトルコの大軍に追われて島を去ることになり、1912年までトルコ領となった。そのため今でもイスラム教徒が住んでおり、市内には教会と並んで幾つかのモスクが見られる。
町はその後、イタリア領、ドイツ領、英国領を経て、1948年にギリシアに復帰した。
エレフセリオス広場にある、現代のアゴラ(市場)
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町の中心、エレフセリオス(Elefthérios/Ελευθέριος)広場の正面には、真っ白に塗られた立派なアゴラ(市場)が美しい造形美を見せているが、広場左手デフテダル・モスクの裏方には、発掘されたローマ時代のアゴラが存在する。
ギリシアでは、地方の何でもない町ですら、2500年の歴史が凝縮されている。
市街地が新しいのは、1933年の大地震で旧市街がすっかり破壊されたためだ。長いトルコ支配にもかかわらず、再建された町ではトルコの面影は一掃され、ギリシアらしい明るい町並みになっている。この時、瓦礫のなかから多くの古代遺跡が発掘された。
発掘されたローマ時代の邸宅の大理石の床
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その一つである、美しいモザイクや大理石の床を持つローマ時代の邸宅が公開されている。当時の家のつくりが、現代とそう変わらないことに驚く。
リゾート客の殆どは、夏の日中、どこまでも真っ青な白砂のビーチで時を過ごす。 観光で訪れるのであれば、現在は陶器や金属細工などの工芸品を売る店が入るプラタナス広場の旧ロッジアや、旧港の周辺のタヴェルナで美味い魚料理を楽しむのも良い。
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