"地中海,ギリシア,レフカザ,レフカダ,lefkada"
小泉八雲の生誕地
Lefkáda
Λευκάδα
レフカダ
(レフカダ島 −ギリシア)

土から切り離されて、レフカダ(ギリシア語でレフカザ、ここでは日本語表記の慣例に従いレフカダと表記)が島になったのは紀元前6世紀のことだ。当時のコリントス人が航路を確保するため、運河を掘削したことに遡る。
 本土と島の間には複雑な形の砂洲が伸び、青と白の織り成す美しい風景を紡ぎだしている。運河は現在も生きており、面白いことにその運河を塞ぐように大型フェリーのような形の船が横付けされている。平常はそのフェリーを橋代わりに車が走り抜け、航行する船を通す時は、橋の船が動いて運河を開く(写真最下段)。
 砂州を渡ってすぐのレフカダ市は、砂洲に守られた静かな海に囲まれ運河の町のような雰囲気だ。リゾートセンターでもある街の海岸沿いには、カフェのテーブルがすき間もなく並ぶ。海上にはボートや漁船が点々と浮かんでおり、散策するツーリストで賑わっている。
 市街地の都市計画はクロアチアのコルチュラにも似た、典型的なヴェネチア領内の港町の構造だ。海岸沿いと中心を一本貫く骨格的な道路、それを繋ぐ並行した路地が特徴だ。本土と地続きだったため中世にトルコの支配を受け、他のイオニア諸島の街とは異なってヴェネチアが街を手に入れたのはようやく1684年のことだった。
 日本を世界に広く紹介した、パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の生地として知られている。