東端の都市としてトルコと対峙する町、それがロードスだ(発音はロゾスだが、日本語ではロードスと呼ばれることが多いので、それに従う)。
イスラム勢力に押されて後退を余儀なくされたが、その都度、クラック・ディ・シュヴァリエ(シリア)、ロードス、マルタにすばらしい砦を築き(すべて世界遺産)、戦史に残る壮絶な戦闘を繰り広げた。現在でも、領土なき国家として国連に登録されるパレスチナと同じ扱いを受けている。
しかし、地中海を制覇する勢いのオスマン・トルコ帝国の領土の一部に食い込んで存在を誇示する騎士団を、トルコが見過ごすはずはなかった。
1480年に10万人のトルコ軍を凌いだ堅守のロードス城は、1522年のスレイマン1世率いる20万人の大群に6ヶ月持ちこたえたが、ついに陥落した。 さらにロードスは、16〜20世紀にオスマン・トルコの都市となり、次いでイタリア領となった。 これらの歴史が、市街の風景に複雑な色彩を与えている。
は新市街、旧市街からなっている。ホテルやレストランなど、旅行者の生活の場はすべて、イタリア領時代に整備された新市街にある。
マンズラキの奥には、堀と城壁を巡らした旧市街がある。今では城壁の一部が壊されてまっすぐ城内に入れるようになっているが、港に面した海の門や、新市街と繋がるアンボワーズ門から入れば、中世の趣が強く感じられる。
壁の中に足を踏み入れると、ギリシアであることを全く忘れさせる別世界だ。宮殿や大邸宅は、フランス・スペインの中世都市を想起させる石の世界、また市街地はトルコの都市そのものだ。 宮殿を始めトルコ時代に数々の建造物が破壊されたがイタリア領時代に再建され、当時の景観を髣髴とさせている。 騎士団は7語族から構成されており、高みにある騎士団長の大宮殿から、騎士団通りに沿って各語族の館が並んでいる。 最前線に位置した首都の宮殿は、あくまでも軍事施設であり、壮観ではあるが殺風景だ。
日常生活に不便な旧市街は、観光客向けの店やアパートになったり、または廃墟になっているところが少なくないが、それが幸いして中世のトルコ時代の面影を強く残されている。 モスク、トルコ風の張り出した出窓、バザール風の建物、ハマム、アラビア風の噴水、建物に残るアラビア文字などが目につき、ここがギリシアであることを忘れてしまうほどだ。 何箇所かに設けられた、分厚い城壁と深い堀を渡る通路で旧市街を抜けると、普通のギリシアの町並みになっていて、そのコントラストが面白い。
郊外には、ギリシア都市らしく古代のアクロポリスの遺跡がある。建造物は修復された数本の円柱があるのみだが、海に向かった崖の上からは、ロードス市街やシミ島、対岸のトルコの山々が近く望める。 この町は、ギリシアにあるがギシリアではない。西欧とトルコが城壁内に同居する、類を見ない遺産都市だ。
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