"地中海,イタリア,ボーヴァ,ヴア,bova,vua"
古代ギリシア人の末裔が暮らす村
Bova/Vùa
ボーヴァ/ヴア
(イタリア)
Centro
Storico

険しい山頂に纏わりつくような街並み

々と続くボーヴァへの長いアプローチ。カラブリア州でも一番寂しいアスプロモンテ山地の南側の海岸。小さなボーヴァ・マリーナから山に向かう道を取る。海岸沿いですら小さい町しかないのだが、さらに曲がりくねった細い車道を山間部へと進んでいく。家一つない、潅木や草に覆われた乾いた山肌を、ゆっくり運転して十数分で、見上げる山の山頂付近に密集した家々が姿をあらわす。あまりの唐突さに目を疑ってしまうが、これがまぎれもなくボーヴァだ。まさに隠れ里そのものだ。


遥かな山頂に姿をあらわしたボーヴァ

 イオニア海のこの一帯のギリシア人たちは、紀元前8世紀頃、対岸のギリシア本国から移住してきたという。それぞれの村ごとに、元の村の方言や風習をそのまま伝えている。帝政ローマが滅び、ヴァンダル族の来襲を受け、沿岸のギリシア人たちは山中深く逃げ延びて、いくつもの村を建設した。その一つがボーヴァである。他にもこの奥にはさらに幾つかの小さな村がある。

人気の感じられない村の道


 姿を見せてからも、村はなかなか近くならない。麓を出発してから14キロ、約30分の時間をかけてようやく、村の中心、ローマ広場に到着する。人口551人の小さな村なので、目ぼしいものは役場くらいしかない。バールが一軒開いており、男達がひまを持て余すように談笑している。それ以外まったく動きがなく、静まり返って時の止まったような空間だ。

ギリシア系方言の表示


ノルマンの塔と、イオニア海の眺め

落の一番下にあるローマ広場から山頂に向かって、急斜面の市街地をどんどん上に登っていく。
 通りの表示が、"ODOS"で始まる見慣れない言語で記されているのに気がつくはずだ。ローマ字を用いているため分かりにくいが、ギリシア語の"ΟΔΟΣ"である。村の人々は、移住して約2500年経った今でも、当時の古代ギリシア語系の言葉を使っているという。


ギリシア大使の訪問記念碑

 一風変わった村名の"BOVA"は、想像だが、おそらくギリシア文字としての"BOVA(βουα)"がローマ字扱い・イタリア語読みされて「ボーヴァ」になったのではないだろうか。
 崩れかけたノルマン時代の塔を過ぎると、今にも崩れ落ちそうなマドンナ・デル・カルミネ教会(La madonna del Carmine)がある。さらにこの上に古いカテドラルがあり、そのテラスからの眺めもまた良い。
 最後のひと登りを終えると、ノルマンの城跡のある山頂に到着する。城は殆ど痕跡程度しか残っていないが、十字架の設置された標高820メートルの山頂からの眺めは大変素晴らしい。

山頂の城跡からの大展望


 遥か下方のイオニア海と急斜面に張り付く市街地、遥かに続く無人の潅木地帯の広大な眺望が開ける。