カ ラブリア州北部、コセンツァ県内の山裾に位置するルングロは、アルバニア系イタリア人の町として知られている。一見して何の変哲もない田舎町だが、中心の広場にはアルバニアの英雄スカンデルベグの像が立ち、アルバニアの習慣や伝統を受け継いでいる。
ギェルギ・カストリオト・スカンデルベグは1405年にアルバニア北部の豪族の息子スカンデルとして生まれた。当時トルコはアルバニア支配を強めつつあり、彼も地元有力者の子息として人質同様にトルコに送られ、軍人としての教育を受けた。その武勇は誉れ高く、
ベイ(アルバニア語でべグ、ミスターの意)の称号を得て長官として地元に戻ったスカンデルベグは反乱の機をうかがい、1443年にクルヤ砦にて決起した。毎年のようなトルコの攻撃は激しく、17回目の侵攻時には15万の大群で砦を包囲した。しかし士気高く戦術に長けたアルバニアの砦は陥落しなかった。決起から25年目の1468年、スカンデルベグは63歳で没し、その10年後の1478年クルヤ砦は陥落した。トルコ軍による虐殺を恐れたアルバニア人は次々と海を渡り、対岸イタリア南部に移住した。イタリア南部ではそのとき以来アルバニア人社会築かれた。
広場左側のサン・ニコラ・ディ・ミーラ(San Nicila di Mira)教会は、ギリシア正教会の主教管区教会でもある。アルバニアはトルコ占領後イスラム化されているが、それ以前に定着していた東方教会も難民と同時に海を渡り南イタリア各地にひっそりと散在しており、ここもその一つである。見事なイコンが壁面を飾り、正面には仕切り壁のある東方教会特有の構造が見られる。また見事なイコンやモザイクにはギリシア文字が埋め込まれ、典礼はギリシア語、アルバニア語で行われている。
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