前 世紀初頭の大国オーストリアは、当時長い海岸線を持っていた。だから今でも、アドリア海にはオーストリア風の港町が点在する。
そしてその最大の都市が、北部イタリアで最東端に位置する港湾都市トリエステだ。建築様式が、色使いが、明らかに北方の雰囲気をした建物が、町の中心を占めている。例えば市の心臓部であるイタリア統一広場[写真上]左側の県庁は、明らかにオーストリア的なデザインだ。中世以来トリエステはずっとオーストリアの領土であり、第一次大戦に勝利したイタリアが戦利品として取得した土地だから、イタリアになってまだ1世紀は経っていない。
女帝マリア・テレジアが興した、大運河[写真下左]と呼ばれる船着場を中心に網目状に整備された重厚な町並みが、この町を特徴付けている。アクセントを添えるのが、二つの城とローマ時代の遺跡だ。
城のひとつは丘の上から町を見下ろし、もうひとつは皇太子の居城として郊外の海岸に立てられた白亜のミラマーレ城[写真下右]だ。
前世紀にこの一帯がイタリア領になり多くのイタリア人が住むようになったが、現在は2本の国境線により、イタリア、スロヴェニア、クロアチアの3国に分割され、一族が分断されて暮らすことも珍しくない。スロヴェニア、クロアチア国内のイタリア人地区では、東や北へ向かう道路標識の行き先に、当然のようにTRST(トゥルスト、トリエステのスロヴェニア語およびクロアチア語)と書いてある。
ひところのトリエステは、イタリアのどんづまりとなり勢いを失っていたが、最近EUに加盟したスロヴェニアの国境が開かれた。近々クロアチア国境も同様に開放されれば、イストラ半島の中心都市としての復活も夢ではない。
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