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アンダルシアの原風景を伝える山の町
Chefchaouen
ﺷﻔﺸﺎﻭﻦ
シェフシャウエン
(モロッコ)♦♦
Centro
Storico

岩山の山腹に築かれた町は、アラブ人の町とは明らかに違う

を被ることさえある標高2000メートルを越す険しいリフ山地の懐に、シェフシャウエンという町がある。
 本来の町の名はシェフシャウエンだが、現地で話されるベルベル語ではアシャウェンと呼ばれるらしく、またスペイン領時代はXauen(シャウエン)とされており、今でも現地ではシャウエンと呼ばれることが多いようだ。

アンダルシア的な家のデザイン


 タンジェから山間を走る国道2号線を行くと、フェズへの道を分ける手前で、左手の山腹に白い塊が見えてくる。それがアンダルシア系ベルベル人の中心地でもある、県都シェフシャウエンだ。
 セウタ、クサル・エスギル(Ksar-es-Srhir)に上陸したポルトガル軍に対抗し、1471年に築かれた砦が町の始まりだ。
 皮肉なことに、その後のグラナダ王国の崩壊と、それに続くイスラム系住民に対する圧政で追われた難民が、街を発展させた。

町の作りもアンダルシアと瓜二つ

 山に守られ城壁で囲まれた町の守りは堅く、聖都として異教徒を拒み続けてきたシェフシャウエンはスペイン軍の侵入を許さず、キリストに倣いモロッコで遊牧民の暮らしを実践した聖人シャルル・ド・フーコーなど、僅かの潜入者以外にとっては秘境の地であった。
 アル・リフ共和国(リーフ共和国)の一部として1921年に独立したものの、当時はまさに武力による領土拡大が当然の時代、数年後の1926年にフランス・スペイン連合軍により滅ぼされ、異教徒が町に入るようになったのは、それが初めてであった。



山中の町とは思えぬスークの賑わい

動の歴史を持つ一方、現在のシェフシャウエンは、外国人に人気の美しいマウンテンリゾートになっている。
 山肌に纏わりつく白い小さな家々の塊は、町の構造から建築様式まで、まるでアンダルシアの村々そのままだ。
 しかし大きく違うのは、イスラムの人々が暮らし、文化までもがそのまま残されていることだ。
 スペイン人に特に人気のこのリゾートに、何かノスタルジーのようなものを感じているのかも知れない。

透き通るような青で塗った伝統的な家も見られる


 国道から分かれて上がっていくと、車は町で一番大きいムーライ・アリ・ベン・ラシド(Moulay Ali ben Rachid)モスクの前に着く。

 その先の小さなエル・アイン門(Bab el Ain)に入ると、狭い路地に大勢がひしめく旧市街に入る。

ジェラバのフードを被った男性

女性はさらにスカーフをつける



 町を行きかう人々は、男性は洋風が多数派になっているが、ジェラバと呼ばれるフード付きコートを着る人もおり、頭の上を三角に尖らせてフードを被った着方をするのが面白い。
 女性はジュラバか普通の服の上に、大抵スカーフを被っている。



町の中心ウタ・エル・ハマム広場

いメインストリートを300メートルも進むと、旧市街の中心にあたる憩いの場、ウタ・エル・ハマム(Outa el Hammam)広場だ。
 所々で木陰を作り出す広場の大木が、西洋の都市には見られない柔らかさを醸し出す。
 カフェや食堂はこの付近に固まっている。

食堂ではクスクスや羊肉が食べられる

広場を見下ろす大モスク

観光客向けの土産点も多い


 一角には、小規模ながらアンダルス様式で建てられた大モスクが、広場を見下ろしている。また町の要であったカスバは、修復されて今もその威容を留め、重要な観光スポットとなっている。城壁の上からの素晴らしい展望を楽しみたい。

 広場の奥に端と端が繋がるように、エル・マクゼン(El Makhzen)広場が続く。
 ここから先はメインの道筋ははっきりしなくなるので、長径600〜700メートルのピーナツ型をした城壁内を自由に歩いてみよう。

傾斜がきつい山肌には茶色いレンガのままの家も目につく


 観光客が多い町なので、山に近い傾斜地の思わぬ路地にも土産物屋があり、どことなくゆったりした明るい街並みを巡るのは、とても楽しい。
 大都市とは違った、豊かな山の恵みにはぐくまれた北モロッコの小さな町を訪れるなら、ここをおいて他にない。