国 際管理地域として、激動の20世紀の多くを送ったタンジェは、独特の印象を持つ人も多いだろう。
スパイやマフィアが暗躍する無国籍都市、密輸や麻薬が蔓延する無法地帯。その怪しさが多くの人を魅了し、数々の映画や文学の舞台になってきた。
中世以来外国人にとって、タンジェはモロッコへの玄関口であった。アフリカ大陸と地中海との両方の入口に当たるタンジェは、常に勢力拡大を狙う諸外国の羨望の地であり、たびたびモロッコとの間で綱引きが行われていた。
帝国主義が強まった20世紀前半、各国の妥協の産物として、建前上はモロッコに帰属しながら、実質的な支配は主要国家が共同統治するという、つまり事実上どの国が何を行ってもよいといっても過言ではない準無法地帯が形成されたのである。
金融や貿易の表の経済、犯罪がらみの裏の経済とで二重に潤った町は、中国の香港と同じく「地上の楽園」(マティス)として繁栄を恣にしたが、1956年の返還後、モロッコ政府は経済上の特権を奪い、町は輝きを失った。
かつての国際都市としての栄光は、都市名にアラビア語の「タンジャ」が使われず、Tangier(タンジール・英語)、Tanger(タンジェ[ル]・フランス語)、タンヘルTánger(タンヘル・スペイン語)と様々に呼ばれることに形を残している。
現在のタンジェは、独特の歴史と風光明媚な港町を売り物にした観光都市として、またモロッコ人の海外出稼ぎの出発点として、一定の繁栄を取り戻した。
かつてスパイが暗躍し、ドラクロワやマティスなどの芸術家が魅了された町に、ヨーロッパの人々は強い印象を持つようだ。
大都市タンジェの一番の見所は、港から立ち上がる丘の上を埋め尽くす、白いメディナ(旧市街)だろう。
新市街との境界にある、市で賑わうグラン・ソッコの雑踏を抜け、ファフス門(Bab Fahs)からメディナのメインストリートの肩を触れ合うような雑踏を直進する。
右手にスペイン教会を見送るとプチ・ソッコという小広場、さらにグランモスクを過ぎ、細い坂道を拾って登れば、城壁沿いの高台に出る。
そこはカスバ(砦)の一角で、大西洋の広がりもフェリーの出入りする港も一望のもとだ。
対岸のスペインのアルヘシラスへは、フェリーや高速船が数多く、英領ジブラルタルへの船便もある。
南スペインの旅行のついでに寄るとしたら、手頃な日帰りの旅になるだろう。
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