"地中海,モロッコ,テトゥアン,tetouan"
昔ながらの大スークを残す多文化都市
Tétouan
ﺗﻁﻮﺍﻥ
テトゥアン
(モロッコ)♦♦
Centro
Storico

古いマグレブの風景を伝える都市

フ山地が海に迫るモロッコの地中海沿岸は、アラブ人主体の平野部とは違いベルベル人が住む特別な地域だ。
 8世紀、アラブのスペイン進出と共に、北アフリカに住むベルベル人も同時に海を渡り、アンダルシアに多数が住みついた。
 レコンキスタ後スペインから追放された彼らは、同胞が住む、海を渡ってほど近いこの地に留まり、テトゥアンは滅亡したグラナダ王国のアンダルシア文化を受け継ぐこととなった。

スペイン領時代の建築が並ぶモハメッド5世通り


 地中海への玄関口である貿易都市として発展したテトゥアンだが、19世紀に入ると列強諸国の圧力が強まり、ついに1860年、リフ地域へスペイン軍が進入した。
 テトゥアンは、フェズ条約による国際的承認を経て1956年まで1世紀続く旧スペイン領モロッコ(現モロッコの地中海沿岸からリフ山地までを領域とする保護国)の首都となり、スペイン、アラブ、ベルベルの3民族が共存する、特徴ある都市を形成したのである。



ローカルな雰囲気が強い旧市街入口のハサン2世広場

在新市街の中心、バクトゥリア教会(lglesia de Bacturia)が建つムーライ・エル・メフディ広場(Place Moulay el-Mehdi)を出発し、スペイン風の建築が左右に並ぶモハメッド5世通りを進むと、城壁に囲まれた旧市街の入口にあたる、露天が出て賑やかなハサン2世広場(Place Hassan II)に行き着く。
 この大きな広場に相応しい壮大なカリフ宮は、二本の尖塔を脇に従え、威圧するような大スケールの城門が、正面を向いて口を開けている。

エル・ルアー門から旧市街に入る

 そのまま直進すると、世界遺産でもある旧市街の心臓部のスークだ。
 車の入れない歩道は、ある部分は屋根に覆われ、ある部分はトンネル状に建物の1階部分を通過し、まさに白い迷路そのものだ。

 中世の宮殿をスペイン領時代にスルタン宮として改修したものだが、現在は王宮の一つとなっている。
 王宮脇の立派なエル・ルアー門(Bab er-Rouah)をくぐると、いよいよ旧市街に入る。

方向感覚を失うテトゥアンの旧市街の路地




賑わうスークは業種別に分かれている

ークは、業種別に商店が固まっている本来の姿を良く残しており、多少は現在位置の把握のヒントになる。しかし方向感覚のない人がこの地区に入り込むのは考えたほうが良いだろう。広場でガイドを見つけた方が、間違いない。
 この迷宮を覆う屋根の上には、一転して白い明るい世界が広がっている。
 絨毯屋など、観光客相手の商店主の了解を得て屋上に上がると、岩山を背にした白い市街が美しい。【直下の写真】

薄暗いスークの屋根の上は、一変して白い明るい世界


 路地の風景は、アラブ人の町とどこか違って、彼らの故郷アンダルシアの雰囲気を感じさせる。

 道をうまく取ると、中心部の大モスク、またさらに高台のカスバに抜けることができる。

路上でも露天を開けば店舗に早変わり


 テトゥアンは、しばしばスペインとモロッコの混血都市として紹介される。確かに新市街の外観や都市計画にスペインの影響を色濃く残しているが、街の雰囲気はアラブ─ベルベル一色だ。
 マルティル川(Wadi Martil)を11km内陸に入った町への訪問は、地中海沿いに並ぶツーリスト向けのリゾートからの手軽なエクスカーションになるだろう。