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カルタゴ港を囲むように点在するカルタゴ遺跡
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皮肉なことに、今カルタゴ(本来カルタージュだが、通例に習いカルタゴと表記)で見られる遺跡の殆どは、カルタゴを滅ぼしたローマ帝国の遺物だ。カルタゴは、紀元前9世紀から前1世紀まで、現在のチュニジアを中心に地中海西部で栄えたフェニキア人国家の首都だった。戦争で勝っても勝っても、不死鳥のように蘇るカルタゴに恐れをなしたローマは、紀元前146年、徹底的にカルタゴを破壊し、1世紀以上放置した。
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丘の上の廃墟
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その後ローマの手で再建されたのが、現在のカルタゴ遺跡の多くの部分だ。それもその後の長い歴史を経て、まともに残っている建造物は皆無だ。世界遺産に指定されている割には、見栄えのしない印象は免れない。しかし発掘はまだ続いており、都市の規模から考えれば、今後も重要な発見の期待が持てる。
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ビュルサの丘の山頂に立つ、サン・ルイ教会
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アントニウスの浴場、ローマ劇場など、比較的保存状態がよいのはローマ人の遺跡であるが、カルタゴ人の遺跡も僅かに残っている。海岸線を掘削して作った軍港と商港はおおむね形を留め、当時の繁栄を髣髴とさせる。その近くにはカルタゴ人のトフェ神を祭った聖地跡がある。幼児を生贄として捧げた場所とも言われているが、真偽の程は定かでない。フランスが立てたサン・ルイ大聖堂が聳えるビュルサの丘には、ローマ人街の遺跡に混じって、カルタゴ人の住居跡が見られる。この丘の見晴らしの良い高台からは、カルタゴ全体はもちろん、遥かボン岬半島までの素晴らしい景観を望むことができる。
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