"地中海,トルコ,カヤキョイ,kayakoy"
僅か80年前のギリシア遺跡
Kayaköy
カヤキョイ
(トルコ)
生活の跡がまだ残る新しい遺跡

ェティエから有名な景勝地オェリュデニズへ行く途中、脇道に入って数キロ進むと、潅木が点在する丘の斜面にカヤキョイが見えてくる。少し離れた位置から見ると、よくある石造りの粗末な町並みに見える。村は谷から斜面へと広がるなかなかの規模で、中央には辺りを睥睨する大きなカテドラルが聳えている。しかし村内に足を踏み入れると、村全体が人の住まない廃墟であることが分かる。家々はかなり傷んではいるが、赤や青に塗られた壁はまだ色鮮やかさを残していて、生活の痕跡も消えてはいない。

傷んではいるが威厳を保ち続けているカテドラル

 実はカヤキョイは、つい80年程前の1922年までは、賑やかな村であった。歴史は古く、分かっているだけでも紀元前4世紀には遡る。20世紀初頭には、カルミラソス(Karmylassos)と呼ばれるギリシア人が住む村で、3000世帯が暮らしていた。1922年に勃発したギリシア・トルコ戦争でギリシアが破れたため、紀元前から住んでいたトルコ領内のギリシア人はほぼ全員が追放され、村全体が廃墟となってしまったのである。
 戦争の悲しい結末を、日常生活の視点で感じることのできる、珍しい遺跡である。