代史で有名なスパルタの僅か西5kmに、対をなすようにミストラの廃墟がある。
その後ギョームはミストラの奪還を試みるが、自ら建設した堅牢な都市の攻略に、ついに成功することがなかったのは、皮肉なことであった。 ミストラはビサンチン帝国の支配のもと、モレア地方の首都として大いに発展した。
ビサンチン帝国滅亡後は、教会がモスクに作り変えられはしたものの、人口4万を超すトルコの絹糸産業の中心都市として繁栄のピークを迎えた。しかしトルコの衰退と共に、ヴェネチア、ロシア、アルバニア、エジプトなど次々と外国軍の略奪を受けるようになる。 町の息の根を止めたのは、ギリシア建国に伴うスパルタの復興であった。
県庁所在地としての都市機能はスパルタに移ったが、ミストラは小さな田舎町の「ミストラス」(Mistrás/Μυσράς)として生き残った。 城壁に囲まれた中世の廃墟は、山と平野との接点に入口があるが、それの平野側に隣接して現代のミストラスがある。
パルタからバスかタクシーで、現在のミストラスの町まで移動する。土産物屋や大型バスの駐車場脇を通って、入場券売り場のある城壁入口から、中世都市の下の町へと入っていく。
入口から右に数分で、いきなり一番のハイライト、13世紀のアギオス・ディミトリオス大聖堂だ。ビサンチン帝国皇帝パレオロゴスが戴冠した聖堂内部の床は双頭の鷲が刻まれ、全てのクーポラ下のドームは、素晴らしい色彩のフレスコ画が連続している。
いずれにせよ下の町の最上部にある、パンダナサ修道院に着く。この修道院だけは、今でも修道女が住み活動を行っているので、静かに見学したい。修道院のテラスから山間に広がるエヴロタス盆地が俯瞰できる。
らに登ると下の町は終わり、この先は城壁で区切られている。モネンヴァシア門をくぐって、かつて王が暮らした上の町へと進んでいく。
さらに上へと一層険しくなる山道を登っていく。見る見るうちに、王宮やアギア・ソフィア教会が眼下になっていく。 最高地点には、かつて騎士たちが詰めていた城塞跡(カストロ)が建っている。まさに戦闘のための砦そのもので、長細く頂上部に展開している。その城壁上に立てば、このミストラの山もはるかに大きな山塊の一部であることが分かる。
正面にはスパルタ市街とエヴロタス川沿いに広がる肥沃な大地が、裏手には険峻なタイエトス山地の山々の、360度の雄大な展望が広がっている。
広大なミストラの回り方は、時間と体力があるなら、全て回ることをお勧めする。歩き回って全く損はない素晴らしい遺跡である。だがそれが難しい場合は、目的に応じてコースを選ぶと良いだろう。教会建築や美術が目的であれば、下の町の入口に近いアギオス・ディミトリオス大聖堂とヴロンヒオン、ペリヴレプトスの両修道院、風景や展望が目的ならば、上の入口から入ってアギア・ソフィア修道院とカストロへの往復、となろう。車の回送が可能ならば上の入口から入って下の入口から出るルート、レンタカーならば下の入口に車を止めて下の町を見学したあと上の入口に回って上の町を見学などのルートも考えられる。 いずれにせよ、効率よく回る方法は存在しないことだけは銘記して、余裕を持って訪れたい。 |