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廃墟となったオリエントのフィレンツェ
Mistrá
Μυστράς
ミストラ
(ギリシア)♦♦
かつての首都だった都市が、木々に埋もれていく

代史で有名なスパルタの僅か西5kmに、対をなすようにミストラの廃墟がある。
 フランス人により建国されたアカイア公国の首都として、1249年ミストラは華々しいデビューを飾った。平野にあり敵の攻撃に弱いスパルタ市を打ち捨て、急峻なタイエトス山地をバックに山の傾斜地に張り付くようにスパルタを見下ろす位置に、新しい国の首都が建設されたのである。

下の町から見上げるカストロ
 しかし戦いに敗れ捕虜となったアカイア公ギョームは、わずか13年後にビサンチン帝国に助命の交換条件として、首都ミストラを明渡すことになった。
 その後ギョームはミストラの奪還を試みるが、自ら建設した堅牢な都市の攻略に、ついに成功することがなかったのは、皮肉なことであった。
 ミストラはビサンチン帝国の支配のもと、モレア地方の首都として大いに発展した。

クーポラから回廊まで、完全修復されたディミトリオス大聖堂
 イタリアやコンスタンティノポリスから芸術家が訪れ、哲学や美術などの文化・芸術の中心地と名を馳せた。
 ビサンチン帝国滅亡後は、教会がモスクに作り変えられはしたものの、人口4万を超すトルコの絹糸産業の中心都市として繁栄のピークを迎えた。しかしトルコの衰退と共に、ヴェネチア、ロシア、アルバニア、エジプトなど次々と外国軍の略奪を受けるようになる。
 町の息の根を止めたのは、ギリシア建国に伴うスパルタの復興であった。

ディミトリオス大聖堂のドームを被いつくすフレスコ画
 新生ギリシアは、アテネ、スパルタなどの古代都市の、近代都市としての復興を図った。それによりミストラが、その意味を完全に失ったことは、言うまでもない。
 県庁所在地としての都市機能はスパルタに移ったが、ミストラは小さな田舎町の「ミストラス」(Mistrás/Μυσράς)として生き残った。
 城壁に囲まれた中世の廃墟は、山と平野との接点に入口があるが、それの平野側に隣接して現代のミストラスがある。



美しいテラスを持つパンダナサ修道院

パルタからバスかタクシーで、現在のミストラスの町まで移動する。土産物屋や大型バスの駐車場脇を通って、入場券売り場のある城壁入口から、中世都市の下の町へと入っていく。
 十分覚悟してから入場した方が良い。その広大さと言えば、何しろここはかつて、一国の首都であったのだから。直径500メートルほどのいびつな円形の町が、標高差にして258メートルの急斜面に展開している。頂上までわき目も振らず登るだけでも、小一時間の登山となる。ましてや一通り巡るには、最低でも3〜4時間は必要だ。

廃墟の都市で唯一の現役の建物。今でも修道女がここで生活している。
 内部にはいっさい店はないので、暑い季節であればペットボトルの水は必需品だ。また、舗道より山道の部分のほうが多く、足元もしっかり装備しておきたい。
 入口から右に数分で、いきなり一番のハイライト、13世紀のアギオス・ディミトリオス大聖堂だ。ビサンチン帝国皇帝パレオロゴスが戴冠した聖堂内部の床は双頭の鷲が刻まれ、全てのクーポラ下のドームは、素晴らしい色彩のフレスコ画が連続している。

19世紀まで人が住んでいた上の町の建物は、まだある程度原型を留めている。
 山の中腹に向かって二つのルートがあり、どちらも捨てがたく迷うところだ。往復徒歩で行くなら、行きと帰りで見ていくのが良いだろう。一つは、見事に修復されたヴロンヒオン修道院の堂々たる聖堂群を抜ける道、もう一つは素晴らしい壁画を擁するペリヴレプトス修道院を通る道だ。
 いずれにせよ下の町の最上部にある、パンダナサ修道院に着く。この修道院だけは、今でも修道女が住み活動を行っているので、静かに見学したい。修道院のテラスから山間に広がるエヴロタス盆地が俯瞰できる。


修復中の王宮は、近々その本来の姿を取り戻すのであろう

らに登ると下の町は終わり、この先は城壁で区切られている。モネンヴァシア門をくぐって、かつて王が暮らした上の町へと進んでいく。
 町を見下ろすような斜面の台地の上に、群を抜く堂々威風たる様で、王宮が建っている。修復中のためシートに被われ見学できないが、近いうちに一段と立派な姿を表すであろう(2006年8月現在)。

ビサンチンとカトリックの両要素が混合したアギア・ソフィア教会
 王宮の上部には、王族たち専用のアギア・ソフィア教会がある。小さいながらも端正で洗練された外観だ。王宮と教会との間に、上の町専用のナフプリオ門が残されているが、今日の観光客は、教会上部の入口からも入ることができる。
 さらに上へと一層険しくなる山道を登っていく。見る見るうちに、王宮やアギア・ソフィア教会が眼下になっていく。

 最高地点には、かつて騎士たちが詰めていた城塞跡(カストロ)が建っている。まさに戦闘のための砦そのもので、長細く頂上部に展開している。その城壁上に立てば、このミストラの山もはるかに大きな山塊の一部であることが分かる。

山頂のカストロから、スパルタ市街とエヴロタス川を見渡す

 正面にはスパルタ市街とエヴロタス川沿いに広がる肥沃な大地が、裏手には険峻なタイエトス山地の山々の、360度の雄大な展望が広がっている。

山腹に点在するミストラの遺跡群

 広大なミストラの回り方は、時間と体力があるなら、全て回ることをお勧めする。歩き回って全く損はない素晴らしい遺跡である。だがそれが難しい場合は、目的に応じてコースを選ぶと良いだろう。教会建築や美術が目的であれば、下の町の入口に近いアギオス・ディミトリオス大聖堂とヴロンヒオン、ペリヴレプトスの両修道院、風景や展望が目的ならば、上の入口から入ってアギア・ソフィア修道院とカストロへの往復、となろう。車の回送が可能ならば上の入口から入って下の入口から出るルート、レンタカーならば下の入口に車を止めて下の町を見学したあと上の入口に回って上の町を見学などのルートも考えられる。
 いずれにせよ、効率よく回る方法は存在しないことだけは銘記して、余裕を持って訪れたい。